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「富士宮の城跡探訪」戦国の記憶と時空を超えた歴史の息吹!

富士宮市の城跡は、雄大な富士山の麓に眠る戦国時代の貴重な歴史遺産です。今川氏、武田氏、北条氏といった戦国大名の激しい争いの舞台となったこの地域には、今なお当時の面影を残す城郭遺構が点在しています。歴史ロマンを求める旅人にとって、富士の霊峰を望みながら辿る古城巡りは、まさに時空を超える旅となるでしょう。富士宮市内には城跡が7つありますが、今回は3つの城跡を紹介します。

大宮城(駿河大宮城)

第47城 富士宮市の大宮城跡と富士市の善得寺跡に行ってきました。

戦国の雄が三度激突した大宮城

室町時代に富士山本宮浅間大社の大宮司家である富士氏によって築かれた大宮城(別名:富士城)。単なる軍事施設ではなく、富士山信仰の中心地として政治的・宗教的にも重要な拠点でした。南北朝時代から室町時代にかけて大宮司として権力を強めた富士氏。戦国時代には駿河今川氏の家臣団(国人領主)に組み込まれていきました。

大宮城の歴史で特筆すべきは、1568年(永禄11)から始まる武田信玄による駿河侵攻での攻防戦です。城主「富士信忠(ふじのぶただ)」は今川方として大宮城に籠城し、三度にわたる武田勢の攻撃を受けました。特に三度目の攻撃では、武田信玄自ら大軍を率いて城を包囲。激しい籠城戦を繰り広げたものの、1569年(永禄12)7月、ついに開城することとなりました。

その後、大宮城は武田氏によって修築されますが、1582年(天正10)の武田氏滅亡とともに廃城となりました。

現代に残る遺構と発掘の成果

大宮城があった場所には、今は富士宮市立大宮小学校が建っています。発掘調査により、小学校のグラウンドが本丸で、二の丸は西側の校舎がある辺りまで、そして小学校の南側に蔵屋敷を配し、それぞれを堀で囲んだ縄張りだったことが判明しました。

特筆すべきは発掘調査で出土した「富士系カワラケ」と呼ばれる特徴的な土師器皿です。これは富士氏特有の食器であり、15世紀後半から16世紀後半にかけて使用されていました。この発見は、当時の富士氏が今川氏や武田氏といった大名クラスに匹敵する文化的・政治的影響力を持っていたことを示す重要な証拠となっています。

アクセス情報

【所在地】:
静岡県富士宮市元城町1-1
【電車】:
JR身延線富士宮駅からバスで「湧玉の池」下車、徒歩1分
【車】:
東名富士ICから約17分
【見学のポイント】:
城跡自体は小学校敷地内のため外周からの見学となりますが、近接する富士山本宮浅間大社(大宮城主富士氏が代々大宮司職を勤めていました)と併せて訪れることで、当時の歴史をより深く感じることができます。

井出氏館(井出の代官屋敷)

#富士宮市の歴史 井出氏(いでうじ、いでし)は日本の武家。富士上方(現在の静岡県富士宮市)の在地領主。

源頼朝ゆかりの地として栄えた古館

撮影:編集部

鎌倉時代から続く井出氏の居館だった井出氏館。特に注目すべきは、1193年(建久4)5月に源頼朝が「富士の巻狩り」の際にこの地を宿舎としたという歴史的事実です。『吾妻鏡』にも「藍沢御狩事終、入富士御旅館、当南面立五間仮屋」と記されており、頼朝が館に滞在したことが記録に残っています。

戦国時代、井出氏は鎌倉時代からこの地を領した土豪として、富士山本宮浅間神社の富士大宮司家に仕え、室町時代から戦国時代には今川氏・武田氏に仕えました。複雑な戦国の情勢の中で、井出氏は主君を変えながらも地域の有力者として存続していったのです。

江戸時代の地誌『駿河記』によれば、戦国期の井出館は周囲一町余四方(約110m四方)の規模で、周囲を一丈二尺(約3.6m)もの高さの土塁で囲まれた堂々たる屋敷だったことがわかります。

歴史を語る建造物と天然記念物

撮影:編集部

現在の井出氏館は「井出の代官屋敷」とも呼ばれ、江戸時代中期の長屋門と母屋が現存しています。両脇に長屋を伴った高麗門は富士宮市の指定文化財となっており、往時の風格を今に伝えています。

敷地内には国指定特別天然記念物「狩宿の下馬桜」があります。別名「駒止めの桜」とも呼ばれ、源頼朝が桜の枝に馬を繋いだところ、その枝が活着したものと伝えられている由緒ある桜です。毎年4月中旬になると見事な花を咲かせ、多くの観光客が訪れます。

アクセス情報

【所在地】:
静岡県富士宮市狩宿91
【電車】:
JR身延線富士宮駅からバスで「狩野下馬桜入口」下車、徒歩すぐ
【車】:
新東名新富士ICから約27分
【駐車場】:
「狩野の下馬桜」用の無料駐車場あり
【見学のポイント】:
外観見学が中心ですが、特に桜の開花時期(4月中旬)の訪問がおすすめです。

南条氏館(南条館)

#妙蓮寺 #富士宮市 今回の史跡探訪は、中世の武家屋敷「南条館」の遺構が残る、下条妙蓮寺です。

鎌倉時代の地頭居館が語る中世の歴史

鎌倉時代に上野郷地頭である南条氏によって築かれた南条館。この地域における鎌倉時代の地頭居館として、貴重な遺構として評価されています。南条氏は、1333年(正慶2)の鎌倉幕府滅亡時に当主・南条時光が北条高時に従って鎌倉で討ち死に。

現在、南条氏館は日蓮宗・妙蓮寺の境内にあります。寺の周囲には土塁が残されており、北側には空堀の跡も。これらの遺構から、単なる居館ではなく防御性を持った施設だったことがうかがえます。

妙蓮寺の表門と客殿は、富士宮市指定文化財です。茅葺きの表門は、江戸時代の文政年間(1818-1830年)に建てられたもので、歴史的・文化的価値が高いとされています。

アクセス情報

【所在地】:
静岡県富士宮市下条688
【電車】:
JR身延線富士宮駅からバスで「妙蓮寺入口」下車
【車】:
新東名富士ICから西富士道路経由で北山IC、国道469号線~県道184号線
【駐車場】:
妙蓮寺の参拝者用無料駐車場を利用可能
【見学のポイント】:
土塁や空堀といった中世の遺構と、江戸時代の建造物を一度に見られる貴重なスポットです。

富士宮城跡巡りのおすすめポイント

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効率的な周遊モデルコース

富士宮市内の3つの城跡を効率よく回るなら、以下のルートがおすすめです。

ポイント

  1. 富士宮駅を起点に、最初に駅から約0.5kmの距離にある大宮城跡(富士山本宮浅間大社と併せて見学)
  2. 次に約5.5km離れた南条氏館(妙蓮寺)へ
  3. 最後に約4km離れた井出氏館(特に桜の季節なら必見)

訪問時の注意点

  • 大宮城跡は現在小学校になっているため、外周からの見学となります。校舎や生徒の迷惑にならないよう配慮しましょう。
  • 井出氏館は現在も個人宅となっているため、敷地内への無断立ち入りはできません。外観見学や「狩宿の下馬桜」の鑑賞にとどめましょう。
  • 南条氏館は寺院境内のため、参拝マナーを守り静かに見学しましょう。

城跡巡りをより深く楽しむための豆知識

富士宮市の城郭遺構を巡る際、知っておくと面白い歴史的背景があります。

  • 大宮城の戦いでは、武田信玄が3度にわたって攻撃を仕掛け、最後は自ら大軍を率いて攻略しました。この戦いは、主家今川氏が没落する中で、富士氏が北条氏との関係を深めていく転換点となりました。
  • 富士系カワラケと呼ばれる特殊な土器が大宮城から出土しています。これは富士氏特有の食器であり、駿河地方の他の地域の土器とは明確に区別される特徴を持っています。このことから、富士氏が独自の文化圏を形成していたことがわかります。
  • 井出氏館源頼朝の巻狩りの関係は歴史的にも貴重です。頼朝が実際に使用した宿舎であり、「狩宿の下馬桜」は源頼朝が馬を繋いだ桜の枝が根付いたものとされています。

富士宮市の城跡が語る歴史と文化

富士宮市に残る城跡は、単なる軍事施設ではなく、富士山信仰と結びついた独特の歴史文化を今に伝える貴重な文化遺産です。大宮城、井出氏館、南条氏館は、それぞれ鎌倉時代から戦国時代、そして江戸時代へと続く日本の歴史の重要な断片を私たちに伝えてくれます。

富士山の雄大な姿を背景に、これらの城跡を巡ることは、日本の中世から近世への変遷を体感する貴重な機会となるでしょう。歴史好きの方はもちろん、富士宮観光の新たな魅力として、これら3つの城跡を訪れてみてはいかがでしょうか。

【参考文献】
Wikipedia「大宮城(駿河国)」
富士宮市公式HP「大宮城出土の皿と碗 -富士系カワラケの提唱-
富士宮市公式HP「狩宿の下馬ザクラと井出家
歴史探索「井出の代官屋敷
理文先生のお城がっこう「歴史編 御家人の館 - 城びと
Wikipedia「南条氏

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編集部 K

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■提携ライター:静岡県富士宮市を中心とした観光情報を発信するライターとして活動しています。読者にとって役立つ情報をわかりやすく伝えることを心がけ、地域の魅力を最大限に引き出す記事作りを得意としています。

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